鷹のぼせの独り言

外科系医療者で3児の父親です。ご覧のとおりの“鷹のぼせ”です。医療、教育、書評、そしてホークスについて熱く語ります。

合格した学校が一番だよ 「中学受験の失敗学」

なんともセンセーショナルなタイトルの本を読みました。少子化社会とは言え、中学受験は過熱する一方のようです。私の住む九州の田舎ではそれほどではありませんが、首都圏では競争もさぞや激しいのでしょう。我が家もいずれ親子ともども中学受験に突入します。ただしなかには、子どもの学力に見合わない志望校を掲げ、塾や家庭教師に費やした時間が勉強した時間だと勘違いしている親もいるようです。そのような、どこまでも暴走を続けてしまう「ツカレ親」に警鐘を鳴らし、子どもの幸福には多様な選択肢があることを伝えたい本だと思いました。

埋まらない能力の差

小学高学年ともなるとそれまでに獲得した語彙や知識にはかなりの個人差が現れてきます。歴史や国際情勢に関する知識、ことわざや四字熟語など「教養」と呼ぶべき知識を身につけている子どもとそうでない子どもの間には格差が生じてきます。こうした教養の差は、本を読む習慣があるか、ニュースを見る癖がついているかといったことにも左右されます。しかし本も読まず、ニュースにも無関心で遊び呆けているような子どもに教養がないかと言えば、そうではありません。一見知的と思われない趣味や遊びを通じて知識を吸収している子どもも決して少なくはありません。結局はそれぞれの子どもの持って生まれた能力や性格が「差」をもたらすのです。生きていくということは、こうした能力差に折り合いをつけながら、可能な範囲で最良の結果を出せるように努めることの繰り返しにほかなりません。私の師は常々、「自分の合格した学校が日本一の学校だと思いなさい」と言っていましたが、これは能力の違いもあるだろうが、これまで育ててくれた親への感謝の気持ちを持つことの大切さを説いていたのだと思います。その上で、その通った学校でベストを尽くせ、という激励の意味合いも含んだ言葉だったと思い出されます。

 

本当の幸せとは

「いい学校」に進学することが幸福につながるわけでは決してありません。現実に有名中学・高校・大学に進学できる人数は限られますし、エリートは数少ない存在であるからこそ「エリート」なのです。それほど有名でない中学〜大学を経て、縁があって採用された会社のサラリーマンとして生きていくことになる子どものほうが圧倒的に多いのです。「いい学校」に入り「エリート」になるというコースは、数ある幸福の一つに過ぎないと思います。「凡人」にしかなれない我が子を温かく見守るのも親の愛情。「いい学校」に合格できなくても、人間としての可能性が閉ざされるわけではないということを、親自身が理解し、子どもたちには多様な幸福の在り方を伝えていくことが大事なのではないでしょうか。

中学受験の失敗学?志望校全滅には理由(わけ)がある? (光文社新書)

中学受験の失敗学?志望校全滅には理由(わけ)がある? (光文社新書)