鷹のぼせの独り言

外科系医療者で3児の父親です。ご覧のとおりの“鷹のぼせ”です。医療、教育、書評、そしてホークスについて熱く語ります。

価値観の異なる人には認識の重要性を高めて接する必要がある

もう10年以上前の話。

私の担当で手術を受ける方がいました。70歳台、男性。

いよいよ明日が手術という日に、麻酔科医師や看護師からいろんな説明を受けます。全身麻酔の手術の場合には手術前はもちろん、絶飲食といって食事や飲水を制限しなければなりません。手術当日は朝から何も飲み食いが出来なくなるのです。高齢とはいえ、意識状態もしっかりされており、ひどい認知症があるわけではありません。術前の説明なども滞り無く終了し、あとは明日の手術を控えるばかりとなりました。

しかしその男性は手術の説明を聞いて、こう考えました。

「手術を受けるには体力が必要。しかし食事が摂れないならば、代わりに何か栄養があるものを摂らなければならない‥」

 

そうだ、牛乳を飲もう!

 

彼はそう決意し、なんと手術直前に冷蔵庫に保管していたパック牛乳を飲み干してしまいました。「これで安心。安全に手術を受けることが出来る。」彼としては準備万端だったに相違ありません。しかし… 手術直前に牛乳を飲んだことで、手術を6時間延期せざるを得なくなりました。気管内挿管など全身麻酔中に誤嚥すると肺の状態が悪くあることがあるからです。

 

麻酔前に人工乳,牛乳を投与する許容時間についての無作為化試験は不十分である. 欧米各国のガイドラインでは,6 時間前までの投与を推奨している.米国麻 酔科学会では,コンサルタントの同意と米国麻酔科学会のメンバーの強い同意事項と して,新生児,乳児,小児では人工乳の摂取から 6 時間以上空けることを推奨してい る.乳児,小児,成人ではヒト以外のミルクの摂取から 6 時間以上空けることを 推奨している. (日本麻酔科学会 術前絶飲食ガイドライン 2012年)

 

こんな状況では医療安全の立場より検証が行われます。彼に話を聞いてみると、「手術前は食事が摂れないので、体力が落ちると思った。飲水はダメだと説明されたので、水以外で栄養のある牛乳を飲んだ」……

手術の開始が遅れ、こんちくしょうと思いながら話を聞いていたのですが、筋は通っています。ではなぜこのような事態になったのでしょうか?

 

思い込みという認識の錯覚

「絶飲食」という言葉は文字で読むと「飲み食い」を絶つ、すなわち「飲み食いが出来ない状態」と理解出来ます。ところが「ぜついんしょく」と耳で聞いただけでは、この言葉に慣れ親しんでいる人以外は、何を意味するのか咄嗟には判断出来ません。そこで言葉で補足するのですが、「ご飯を食べてはいけない」と説明してしまうと患者は「パンは食べることが出来る」と誤解し、また「飲み物を飲んではいけない」と言うと「ジュースはダメだが水は飲んでいい」というふうに勝手に解釈される可能性があります。全くの屁理屈ですが、理屈は通っています。

 

一方説明する医療者側の問題としては、自分たちの価値観に基づいた説明しか出来ていなかった可能性があります。医療者側は「絶飲食」という言葉は「何を飲んでも食べてもならない」意味であることを聞いただけで理解出来ます。しかし医療には素人である一般の人には医療者側の価値観で説明しても伝わらない可能性があります。説明する際に「水も、お茶も、牛乳も含めてありとあらゆる飲み物は飲んじゃダメです」と念には念を入れる必要がありました。医療者と患者とでは認識の次元が違うことを十分に理解し接する必要があるのです。

 

医療に限らずこのような問題はどこでも生じることがあります。異なる価値観をもった人と接する機会が多い環境では、自分の価値観から生じた思い込みに従って行動すると、コミュ障に陥ってしまいます。潜在的に自分は正しいという認識で他者と関わると、自分の思い込みに気づかず、それまで経験してきたこと全てが事実だと思ってしまいます。自分の経験から育まれた価値観の全てが真実とは限らないと認識し、異なる価値観に対する認識を高めることが、堅実なコミュニケーションの基礎となるのです。

 

以上鷹のぼせの独り言でした。

 

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