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鷹のぼせの独り言

外科系医療者で3児の父親です。ご覧のとおりの“鷹のぼせ”です。医療、教育、書評、そしてホークスについて熱く語ります。

栄光と挫折の先に平成の三冠王松中信彦がたどり着いた場所

福岡ダイエーホークスの常勝時代を支える

平成の3冠王松中信彦選手が10月1日のホーム最終戦を最後にホークスを退団することになりました。松中選手は1996年ホークス入団後、1999年の福岡ダイエーホークス初優勝の頃より主軸として打線を引っ張ってきました。2003年にはオープン戦で負傷した小久保裕紀氏(現侍ジャパン監督)に代わり4番に定着。ダイハード打線と呼ばれた強力打線のもと、リーグ優勝、日本一を勝ち取りました。翌2004年にはレギュラーシーズンで平成初の三冠王を達成し、打撃成績は絶頂期を迎えます。順風満帆に見えた選手生命。しかしここから松中選手の苦しみが始まります。

 

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クライマックスシリーズの呪縛

2004年には三冠王のほか、最多安打、最高出塁率ベストナインゴールデングラブ賞ベストナインとタイトルを総なめする活躍をした松中選手。しかしその年から導入されたプレーオフ(現クライマックスシリーズ)に苦しむことになります。2004年西武ライオンズとのプレーオフでは第1戦ではライトスタンドにどでかいホームランを放ったものの、それ以後は打てず19打数2安打に抑えこまれました。結果的にチャンスに凡退、チームはプレーオフを敗退してしまいました。翌2005年のレギュラーシーズンでも本塁打打点王の2冠を達成。しかし千葉ロッテマリーンズとのプレーオフでは1安打に抑えこまれ、チームは2年連続の敗退。この頃はプレーオフを勝ち抜いたチームがリーグ優勝という規定だったため、ホークスファンの間では幻の3連覇と呼ばれました。「4番松中」にあと1本でもヒットが出ていれば、余裕でプレーオフを勝ち抜けていた可能性が高かったため、松中選手への風当たりは強いものがありました。しかしその一方で、ドームのライトスタンドには「1人で抱え込むな信彦 俺達がついている」といった横断幕も掲げられ、松中選手を擁護するファンも多数存在していました。2006年には球団と7年もの複数年契約を結びます。成績不振時の減棒など様々なインセンティブが導入されたものの、全ての出来高をクリアすると総額45億円もの大型契約でした。しかしこの頃より怪我や病気に悩まされることになります。トレードマークだった本塁打は減少し、以前ほどの豪打の印象は薄れてしまいました。高年俸に見合わない成績の低下を松中バッシングにつなげた人たち・マスコミもいましたよね。

 

おそらく生真面目な性格なのだろう

松中選手の長打力は当時の王貞治監督の指導のもと、広い福岡ドームのスタンドに放り込むことを目標として、また兄貴分の小久保氏と切磋琢磨して築き上げた技術・パワーの賜物でした(御存知の通り、このころはホームランテラスはまだなかった)。推察するに、松中選手はものすごく生真面目な性格なのではないかと思います。だからこそ王監督の言葉をきちんと受け止め言われたとおりに遂行し、また自身も努力を重ねた結果が三冠王という素晴らしい成績をもたらしたのだと思います。しかしその生真面目さがプレーオフなどのここぞという場面で足を引っ張ったかもしれません。責任感が人一倍強かった松中選手は知らず知らずのうちに自身を追い込んでしまい、微妙な技術的な狂いを生じてしまい最後まで修正出来なかった可能性があります。特に2005年は共にクリーンナップを打っていた城島健司選手がプレーオフ前に骨折するなどのアクシデントもあり、松中選手に相当プレッシャーがかかったんじゃないかと思うのです。ホークスのクライマックスシリーズ負の歴史の象徴が松中選手と言っても言い過ぎではありません。それ故に松中選手は自身を責めるところが強かったと思います。2011年のライオンズとのクライマックスシリーズでは代打満塁ホームランを放つなどの活躍を見せ、初めて勝ち抜くことが出来ました。最終戦は杉内ー涌井の素晴らしい投げ合いで、延長戦に突入しました。12回表、無得点に終わったライオンズの勝ちがなくなった時点でホークスのシリーズ突破が決まったのですが、その時点で試合終了と勘違いしベンチを飛び出した松中選手の勇み足が話題になりました。しかしそれだけ足掛け7年にわたって苦しんできたのでしょう。この時ようやくクライマックスの呪縛が解けた瞬間でもありました。

 

現役へのこだわり、そして退団

その後のシーズンも怪我に悩まされ出場機会が減少します。秋山前監督も工藤現監督も守備重視(どの監督もそうでしょうが)。守れない、走れない選手はやはり使いづらい。さらに悲しいことに、2013年の交流戦優勝を決めた際に、首脳陣の起用方法に対する不満から試合後のセレモニーを欠席し帰宅。このニュースにはさすがに松中ファンの僕もがっくりでした。不平・不満はあってもグッと我慢して、チームの公式行事にはきちんと参加して欲しかった。当たり前のことを当然のようにこなして欲しかった。これを機に出場選手登録を抹消され、そのシーズンは二度と1軍に昇格することはありませんでした。2014年も同様に1、2軍を行ったり来たりでしたが、7月から約1ヶ月間1軍に昇格し、なんと代打で勝ち越しタイムリーを放ち、久しぶりのお立ち台に登りました。結果的にこれがホークスで最後のお立ち台となってしまいましたが、ファンへの感謝の言葉を涙ながらに述べた姿に心を打たれました。

 

https://vimeo.com/103433620

 

2015年シーズン末、来季は構想外だが出処進退は本人に任せる、との球団の方針を受けて、現役続行を希望した松中選手はホークスを退団することになりました。10月1日ホーム最終戦。この日の福岡は朝から暴風雨。松中選手を送り出すファンの心を表したかのような天気でした。7番指名打者でのスタメン起用でしたが、4打席4三振。本人曰く「コテンパンにやられました」。

 

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9回裏、松中最後の打席

 

 

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最終戦セレモニー 場内1周。背番号3 最後の勇姿

 

 

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選手一同が見守る中、ライトスタンド前で最後のあいさつ

「ホークスに入団してよかった。王会長の野球を継承し今後5年、10年強いチームになる。もし違うチームで戦うなら全力で倒しに行く」

 

 

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恩師 王貞治会長から花束を受け取る

 

今後どのチームで野球を続けるのかまだわかりませんが、あと何回でもライトスタンドにボールを叩き込んで欲しいです。ありがとう松中選手!!

 

その一打で たたみかけろ〜 

それ今叩け力入れ ボールを飛ばせ〜

かっ飛ばせ〜 の~ぶぅひこぉ〜

 

執念一撃 3 松中信彦

 

以上、鷹のぼせの独り言、でした