鷹のぼせの独り言

外科系医療者で3児の父親です。ご覧のとおりの“鷹のぼせ”です。医療、教育、書評、そしてホークスについて熱く語ります。

『影響力の武器』より「希少性とホークス愛」を読み解く

西鉄ライオンズの栄光と凋落

昔、ライオンズは福岡をフランチャイズとしていました。西鉄ライオンズは野武士軍団と言われ、あの長島茂雄ジャイアンツに入団した昭和33年の日本シリーズでは、3連敗のあとに4連勝してジャイアンツを降し日本一になりました。当時のエース稲尾和久はシリーズで大車輪の活躍をし、「神様 仏様 稲尾様」ともてはやされました。これは私が幼少の頃より、父から教えられていたことです。

 

しかし私が物心ついた時は、ライオンズは戦力的にも経営的にも低迷期に入っていました。親会社である西鉄はライオンズを手放し、ライオンズの親会社は太平洋クラブ、クラウンライターと次々と変わっていきました。資金も決して豊かではなかったため積極的な補強も出来ず、とても優勝争いが出来るチーム状態ではありませんでした。ホームグラウンドの平和台球場も観客が少なく、閑古鳥が鳴いている状況でした。

 

ある年のドラフト会議でなんとライオンズは一番クジを引いたため、その年の一番人気だった法政大学の怪物江川卓投手を一位指名しました。しかし「九州は遠い」という一言で入団拒否され、彼は翌年ドラフトの空白の一日を使って希望のジャイアンツ入団を果たしました。福岡の野球ファンは弱り目に祟り目で非常に寂しい思いをしていたことを覚えています。「やはり九州はダメなんだ…」

 

球団を失った福岡市民

そんななかで、ライオンズに激震が走りました。ライオンズの親会社、クラウンライターが西武鉄道グループにライオンズを身売りしたのです。戦力は低下しており、とても優勝を狙えるようなチーム状態ではありませんでしたが、それでも竹之内雅史真弓明信若菜嘉晴など若手が台頭してきていた矢先の出来事でした。しかし「新」ライオンズはチームの目玉が欲しいとのことで、彼らを阪神タイガースの田淵選手らとトレードしてしまったのです。この出来事で私はライオンズを応援する気持ちが全く萎えてしまいました。福岡の野球ファンは「ライオンズを返せ」と署名運動を展開しましたが、それで帰ってくるはずもありません。福岡の野球ファンは無力感と空虚な気持ちを抱え、以後10年間を過ごすことになります。

 

以後西武ライオンズは常勝軍団となり、非常に魅力的なチームになりました。豊富な資金をバックアップに選手を補強しました。また根本陸夫氏のアマチュア球界とのパイプによって、有望な選手の「囲い込み」に成功し次々と若手有望選手が入団しました。

ライオンズは年に数回平和台球場に遠征しました。熱狂的なライオンズファンはフランチャイズが埼玉になったチームの応援を続けました。しかし自分にはそれが出来なかった。期待の若手だった真弓、若菜選手らがいなくなったライオンズ… 福岡を離れた瞬間、ライオンズはもう自分たちのチームじゃないんだ、という感情が深く残ってしまったのです。

 

地元に球団があるという希少性 

何かを所有する自由が制限されたり、ある品物が手に入りにくくなると、私たちはそれをより欲するようになります。強い切望の理由を何とか理解しようとし、そうした気持ちを正当化するために、その対象にプラスの評価を与え始めます。

これは『影響力の武器』(チャルディーニ著)の一節です。

現在の情報化社会からは考えにくいかもしれませんが、1970〜80年代は東京と地方の間は距離的にも情報的にも遠かった。それまで自分たちのチームと思っていたライオンズを喪失してしまったという感情は、球団に対して希少性を有することとなり、自分たちの地元で応援できるチームが欲しい、と強く願うようになったのです。

 

影響力の武器[第二版]―なぜ、人は動かされるのか

影響力の武器[第二版]―なぜ、人は動かされるのか

 

 

福岡ダイエーホークスの誕生

そんな1989年スーパー大手ダイエー南海ホークスを買収し、福岡にフランチャイズを移し、ドーム球場を建設しホームグラウンドとする計画を発表しました。百道浜福岡ドームが完成するまで、当面は平和台球場フランチャイズとする福岡ダイエーホークスが誕生したのです。

「福岡にプロ野球球団が再びやってくる!」 

おらが球団の誕生は、福岡市民に大きな希望を灯しました。私も平和台球場のライトスタンドへ足繁く通い、応援を続けました。当時の王者西武ライオンズとのカードは、バックスクリーンを境にライトスタンドがホークス、レフト側がライオンズと真っ二つにわかれていました。ホークスが福岡をフランチャイズとしても、福岡にはまだまだライオンズファンが多く残っていたのです。しかも万年Bクラスのホークスは、決して優勝を狙えるチームではなく、ライオンズにこてんぱんにやられる試合が多かったのです。「本当に強くなるのだろうか?」

こう思ったことは1度や2度じゃありません。しかし敗戦した帰りの地下鉄で、「こんなに弱くても、俺はホークスを応援し続ける!」と叫んでいる若者もいたものでした。

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希少性とホークス愛

たとえどんなに弱くても、一度球団を失った心の傷(大げさと笑わないでください)を経験した私は、ホークスが好きで好きでたまりませんでした。おらが球団を再び持つことが出来たという希少性を達成すると同時に、その対象にむけて、プラスの好感情を抱くようになったのでしょう。

「二度と球団を失いたくない」

そんな強い気持ちも働いたと思います。どんなに弱くても福岡のファンはホークスに対して暖かかったと思います。

そして少しずつですが、若鷹はファンとともにその翼を鍛え、常勝球団へ育っていくのです。