鷹のぼせの独り言

外科系医療者で3児の父親です。ご覧のとおりの“鷹のぼせ”です。医療、教育、書評、そしてホークスについて熱く語ります。

”誤診しない”医者になるために〜「医師は現場でどう考えるか」書評

「医者は現場でどう考えるか」(ジェローム・グループマン著、石風社)を読んだ。帯には「間違える医者、間違えぬ医者の思考は、どう異なるかを問う知的刺激に満ちた医療ルポルタージュ」とある。「誤診」などのっけから穏やかならない表現を用いたが、要は「思考のエラー」を避けるにはどうしたらよいか、というのが主題である。

医療効率化の功罪

現代の管理医療では時間を短縮させようとする圧力が強く、効率の良さが追求されている。電子カルテを始めとした電子技術もその一つである。電子技術は膨大な臨床情報をまとめ、アクセスしやすくする手助けになるが、果たして良いことばかりだろうか?

 

診療の際、医者が電子カルテのテンプレートの空白を埋めることに集中し過ぎると、診断時の認識エラーが増えるリスクがある。患者に対して自由回答式の質問をする確率が減り、テンプレートに合致しないデータに注目しなくなる可能性があるからである。小生が携わっているてんかんの診療では詳細な病歴聴取が診断の手がかりになることが多く、決まりきったテンプレートでは対応出来ないこともよく経験する。

 

このように効率を追い求めるのみでは、個々の医者において診断能力の低下をもたらす恐れがあり、これまで培ってきた医療のレベルを下げる懸念が生じる。

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思考のエラーを起こさないためにも

医者にかぎらず、「人は見たいものしか見えない」一面がある。血液検査や画像検査のデータに対して先入観を持って判断すると診断ミスを起こす危険性がある。逆に「見たいもの」の数が多いほどチェック項目も増えるため、結果的に見落としが少なくなる。「見たいもの」の数は知識の量に比例するため、つまりは幅広く勉強しストック情報を蓄積しておかなければならないことを示唆している。

 

また、近年自分で考えることを放棄し、診断の判定システムやアルゴリズムに自分に代わって考えてもらおうとする風潮が強まっている。この手の患者を「鋳型」にはめる分類制度が増殖したため、医者は一般的なデータに捕らわれ、患者固有の特徴を無視するようになってきている。現代の医療は複雑な病態に対応するために、診断システム自体にも効率化が導入されている。しかし病態は「鋳型」として捉えられても、「人」は「鋳型」には当てはめられない。診断システム、アルゴリズムによらない真の「人」に対する医療とはどういうものなのか?

 

コミュニケーション・スキルを磨く

治療方針を患者に提示するとき、患者本人が本当に何を望んでいるのか自分で考えられるように手助けすることこそ、医者の役割である。そして患者に診療情報の提供、説明をしながら、本人の望む治療、ケアへ誘導する。それがまさに、「人」が病気に対して力を持つことを意味する。もちろん患者との話し方には非常に神経を使う。人生の基本理念、家族に対する責任など聞き出す必要も生じるが、この種の情報はアルゴリズムでは捉えられるものではない。医者は診断あるいは治療のマシーンではなく、「人」なのである。だからこそ患者も医者も救われるのである。

患者と、人生哲学など治療以外の事柄でも言葉を重ね、コミュニケーションを図ることが、ひいては思考のエラーをおこさずに済む最短距離なのかもしれない。

知識・技術の向上はもちろんのことであるが、誤診をしないためにはコミュニケーション・スキルを磨くことも大切であろう。

 

医者は現場でどう考えるか

医者は現場でどう考えるか